紫式部邸址と廬山天台講寺
 紫式部は「平安京東郊の中河の地」即ち現在の山寺(rozanji) の境内に居住していた。藤原香子(かほりこ)と呼び 「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などすべての著書はほとんどこの邸宅で執筆されたものです。この邸宅で育ち結婚生活をおくり、一人娘の賢子(けんこ)を産み西暦 1031年、五十九才で逝去。廬山天台講寺は元三大師(慈恵大師)が西暦 938年船岡山創建した皇室直属の御黒戸四ケ院の中で唯一残存する摂家問跡である。西暦 1571年に織田信長の焼打ちをまぬがれ現在地に移建されたが移建前の廬山寺は「古の紫野の斎院跡」に在ったと言われている。
アクセスカウンター
関連ページ 「Photo_3D画像集」より 「廬山寺の庭園と桔梗の3D風景」
        
    
操作方法は自動スライド時:下部「スライドショウ自動」をクリック。手動スライド時:下部サムネイル画像をクリック。(大きい画像は左クリックで閉じる。右クリックで次へ)

inserted by FC2 system