随心院門跡の由緒(随心院門跡パンフレットより)
 真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師より八代目の弟子にあたる仁海僧正の開基、西暦991年建立。その後、増俊阿闍梨の時随心院を建立。
 1229年後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来随心院門跡と称されています。
小野小町由緒
 「群書類従正編」によれば、小町は小野篁(たかむら)の孫にあたり出羽の国司を勤めた良美の娘であるとされている。当時の書家小野道風は小町の
 従兄にあたる人です。三十才を過ぎた頃、宮仕えをやめて、小野の里に引きこもり晩年の余生を送ったと伝えられています。
深草少将、百夜通(ももよかよい)の話
 小町を慕って小野の里に、雨の夜も雪の夜も通い続けたが九十九日目の夜降る雪と発病ににより最後の一夜を前にこの世を去った伝説。この時小町は
 榧(かや)の実にて数を取り後に小野の里に播いたといわれています。夢にしか逢えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され
 小倉百人一首の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」と人生のはかなさを歌ったのはあまりにも有名であります。
 京都市山科区小野御霊町35   電(075−571−0025)  門跡・庭園¥400  小野梅園(見頃3月下旬ころ)¥400 駐車無料
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